古代から中世にかけての鮭の産地 信濃国・越後国・越中国

 秋鮭のシーズンです。平安時代に編纂された「延喜式」には、鮭の産地として記載されているのは、信濃国(長野県)、越後国(新潟県)、越中国(富山県)のみとなっております。

 現在の長野県では、長野市大豆島地区において、鮭が多く捕れたことで知られております。大豆島地区は千曲川(信濃川の長野県分)とー級河川犀川の合流付近の北側に位置し、土地も肥沃なところです。

 江戸時代になり、徳川家康の六男、松平忠輝が高田藩主の時に家臣に、当時の信濃国更級郡大豆島村(現在の長野市大豆島)に鮭の「打切」を命じました。

 打切というのは仕掛けの一種で、信濃川の河口から順に一番として、十五番までの打切がありました。

 当時の漁期は7月から12月までの間行なわれ、捕れたサケ10本に対して4本を税として納めていました。

 鮭は川で生まれ、海に下り、成魚となり生まれた川に遡上する習性があります。千曲川には、昭和11年に西大滝ダム(長野県飯山市照岡・下高井郡野沢温泉村)の建設が着工したことによって、鮭の遡上が衰退しました

 長野市内にある小学校では、鮭の稚魚を育て、千曲川に放流しており、西大滝ダムで鮭の遡上が確認されると県内向けニュースで報道されます。



 ダム建設や環境の変化によって、鮭の遡上も近代激減しましたが、ー昔前よりは増加しているので、今後も増加するといいですね。

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