計画失効から約30年、成田新幹線建設計画

 成田新幹線は、東京駅から千葉ニュータウン(駅)を経由し、千葉県成田市の成田空港(駅)までを結ぶ計画(計3駅)で、昭和49年に建設が開始されました。

 車両は12両編成対応を検討されており、東京駅から成田空港駅まで約30分で結ぶ予定でした。

 本来は昭和51年に開通する予定でしたが、東京都江戸川区や千葉県東葛飾郡浦安町(現在の浦安市)といった、沿線住民の反対により用地買収等がうまくいかず、昭和53年の成田空港の開港にも間に合いませんでした。

 帝国書院から発売された昭和50年代前半の地図帳には、成田新幹線の建設ルートが記載されており、私の小学生の頃には、いつかは成田新幹線が開通するものだと思っておりました

 しかしながら昭和58年には建設が凍結され、昭和62年には国鉄の分割民営化により計画が完全に失効してしまいました。(成田新幹線のために建設された路盤等は、在来線に利用されたところもあります。)



 このことにより、空港連絡の新幹線は夢となってしまいました。現在空港連絡のための最速列車は、平成22年7月に開通した、成田スカイアクセス線経由の京成スカイライナーで、日暮里・空港第2ターミナル間を最短36分で結んでおります。

 また神奈川県と千葉県の共同研究として、羽田空港と成田空港との間をリニアモーターカーで15分で結ぶ構想があります。

 しかしながら、建設費は1兆3000億円と多額ということと、そもそも空港と空港の間を移動するお客さんの数が少なく、採算が合わないといった問題点があります。

 ただ東京駅から成田空港への連絡鉄道が必要であるのは間違いのないことで、大深度地下方式で京浜急行の泉岳寺駅から東京駅を経由し、京成電鉄の押上駅を結ぶ鉄道路線を建設する構想(いわゆる浅草線短絡新線)があり、現在のところ実現に一番近い構想といえます。

 本来は成田新幹線で、東京駅と成田空港を結ぶことができていれば、結果として、その後の無駄な資金がかからずに済み、投資効果も絶大であっただけに残念というほかありません。(もちろん沿線住民でないからいえることではあるのですが。)

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