北陸新幹線が平成27年3月に長野・金沢間が延伸開通しました。
この開通により長野・金沢間は、特急白山時代に3時間20分(200分)かかっていたのが、最短65分。長野・富山間も最短45分と凄まじいことになっております。
北陸新幹線が開通するずっと前に長野・北陸間の短絡線計画があったことをご存知でしょうか。今回は、それを取り上げます。
大正時代の話ですが、大正8年に長野市・北城村(現白馬村)間の鬼無里鉄道の計画がありました。これは長野市・北城村(現白馬村)間に鉄道を敷設し、現在の大糸線経由で北陸を目指すルートです。鬼無里鉄道はその後、長北電気鉄道(北長電気鉄道)と名を変え、昭和3年7月、善光寺白馬電鉄株式会社に改称しました。昭和5年11月に長野・鬼無里間の工事認可となりました。
この鉄道は、善白鉄道と呼ばれ、ガソリンカーで昭和11年11月に南長野・善光寺温泉東口間の営業開始、昭和17年12月には南長野・裾花口間が開通となりました。
しかし戦争の激化により不要不急の路線となり昭和19年1月に休止となり、昭和44年7月にはルート上に裾花ダムが建設されることになったため廃止となり、現在は、善光寺白馬電鉄株式会社は運送業となり、長野市内で善白のトラックをよく見かけます。
次の計画は信越西線といいますが、善白鉄道が休止している中、昭和39年7月に長野市や財界を中心に信越西線建設期成同盟会が設置されたものの、結局予定線として昇格されることなく、先述の裾花ダムの建設計画により消滅することとなりました。
なおルート構想では、国鉄信越本線(現しなの鉄道)三才駅を起点とし、戸隠 、鬼無里を経て白馬に繋ぎ、白馬からは国鉄大糸線を経由して糸魚川へ向かう計画でした。
また北陸新幹線にしても現在の長野駅を出て、飯山を経由するルート以外にも長野駅から白馬を経由して立山にトンネルを掘って富山県へ行くルートも考えられておりましたが、技術的に難しいことから現在のルートになったという話もあります。
この開通により長野・金沢間は、特急白山時代に3時間20分(200分)かかっていたのが、最短65分。長野・富山間も最短45分と凄まじいことになっております。
北陸新幹線が開通するずっと前に長野・北陸間の短絡線計画があったことをご存知でしょうか。今回は、それを取り上げます。
大正時代の話ですが、大正8年に長野市・北城村(現白馬村)間の鬼無里鉄道の計画がありました。これは長野市・北城村(現白馬村)間に鉄道を敷設し、現在の大糸線経由で北陸を目指すルートです。鬼無里鉄道はその後、長北電気鉄道(北長電気鉄道)と名を変え、昭和3年7月、善光寺白馬電鉄株式会社に改称しました。昭和5年11月に長野・鬼無里間の工事認可となりました。
この鉄道は、善白鉄道と呼ばれ、ガソリンカーで昭和11年11月に南長野・善光寺温泉東口間の営業開始、昭和17年12月には南長野・裾花口間が開通となりました。
しかし戦争の激化により不要不急の路線となり昭和19年1月に休止となり、昭和44年7月にはルート上に裾花ダムが建設されることになったため廃止となり、現在は、善光寺白馬電鉄株式会社は運送業となり、長野市内で善白のトラックをよく見かけます。
次の計画は信越西線といいますが、善白鉄道が休止している中、昭和39年7月に長野市や財界を中心に信越西線建設期成同盟会が設置されたものの、結局予定線として昇格されることなく、先述の裾花ダムの建設計画により消滅することとなりました。
なおルート構想では、国鉄信越本線(現しなの鉄道)三才駅を起点とし、戸隠 、鬼無里を経て白馬に繋ぎ、白馬からは国鉄大糸線を経由して糸魚川へ向かう計画でした。
また北陸新幹線にしても現在の長野駅を出て、飯山を経由するルート以外にも長野駅から白馬を経由して立山にトンネルを掘って富山県へ行くルートも考えられておりましたが、技術的に難しいことから現在のルートになったという話もあります。
初出 平成27年 6月 2日
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