昨今の米国での白人至上主義をめぐる衝突を伝えるテレビニュースで、日本国内でも見ることが多くなった「アメリカ連合国(南軍)」の国旗や国籍旗ですが、ニュースを見ている際に私は疑問に思ったことがありました。
それは世界にあるどのくらいの数の国が、アメリカ連合国(南軍)を「国」として認めていたかということです。調べていきますと、「ザクセン=コーブルクおよびゴータ公国」という現在のドイツ連邦共和国にあった国のみであることがわかりました。
この公国は、ザクセン=コーブルク公国(首都・コーブルク) とザクセン=ゴータ公国(首都・ゴータ)の同君連合で1826年に成立した国でした。国土の面積は大阪府より少し大きく、人口は約25万人です。
南北戦争期のザクセン=コーブルクおよびゴータ公国は、旧神聖ローマ帝国を構成していた35の領邦と4つの自由都市の連合体である「ドイツ同盟(ドイツ連邦)」に加盟している国としてありました。
アメリカ連合国(南軍)は、欧州諸国に対し外交交渉を行ったものの、結局のところ、ザクセン=コーブルクおよびゴータ公国以外に国家承認を行った国はありません。
ザクセン=コーブルクおよびゴータ公国はその後、北ドイツ連邦(北ドイツ同盟)やドイツ帝国の構成国として存続し、ドイツ革命による君主制が廃止となる1918年まで存続しています。
最後のザクセン=コーブルクおよびゴータ公である、カール・エドゥアルト(英名・チャールズ・エドワード・ジョージ・アルバート・レオポルド)は退位後に、1933年から1945年までドイツ赤十字社の総裁を務め、昭和15年(1940年)4月には皇紀二千六百年のドイツ側慶奉使節として来日しています。
それは世界にあるどのくらいの数の国が、アメリカ連合国(南軍)を「国」として認めていたかということです。調べていきますと、「ザクセン=コーブルクおよびゴータ公国」という現在のドイツ連邦共和国にあった国のみであることがわかりました。
この公国は、ザクセン=コーブルク公国(首都・コーブルク) とザクセン=ゴータ公国(首都・ゴータ)の同君連合で1826年に成立した国でした。国土の面積は大阪府より少し大きく、人口は約25万人です。
南北戦争期のザクセン=コーブルクおよびゴータ公国は、旧神聖ローマ帝国を構成していた35の領邦と4つの自由都市の連合体である「ドイツ同盟(ドイツ連邦)」に加盟している国としてありました。
アメリカ連合国(南軍)は、欧州諸国に対し外交交渉を行ったものの、結局のところ、ザクセン=コーブルクおよびゴータ公国以外に国家承認を行った国はありません。
ザクセン=コーブルクおよびゴータ公国はその後、北ドイツ連邦(北ドイツ同盟)やドイツ帝国の構成国として存続し、ドイツ革命による君主制が廃止となる1918年まで存続しています。
最後のザクセン=コーブルクおよびゴータ公である、カール・エドゥアルト(英名・チャールズ・エドワード・ジョージ・アルバート・レオポルド)は退位後に、1933年から1945年までドイツ赤十字社の総裁を務め、昭和15年(1940年)4月には皇紀二千六百年のドイツ側慶奉使節として来日しています。