日本の標準時が、2つあった時代がありました

 日本の標準時(中央標準時)の基準となる子午線は、東経135度のところにあり、兵庫県明石市内にあることはよく知られております。

 この標準時に関する法令は、明治19年7月に初めて公布されてから、日本に「標準時」ができました。ちなみに日本の標準時は、協定世界時(UTC)から9時間進めた時刻です。

 経度の135度を時間の9で割りますと、15度移動するごとに1時間分、時間が移動することがわかるかと思います。

 日本の国土の最西端は、沖縄県与那国島西崎で東経122度56分であるのですが、東経135度よりも東経120度の子午線の方が近いことから、明治29年1月から八重山列島・宮古列島、当時日本の統治下であった台湾や澎湖諸島では中央標準時とは別の西部標準時が適用されました。

 西部標準時は、協定世界時(UTC)から8時間進めた時刻で、中央標準時を1時間早めた時刻となっておりました。

 またこの日本の標準時が2つあった時代は、明治29年1月から昭和12年9月までの41年9か月間でした。

 また日本の委任統治領であった南洋群島には大正8年2月から、南洋群島西部標準時(中央標準時と時差なし)、南洋群島中部標準時(中央標準時から1時間進めた時刻)、南洋群島東部標準時(中央標準時から2時間進めた時刻)の3つの標準時がありましたが、昭和12年から、日本の委任統治が終了する昭和20年までは、南洋群島西部標準時(中央標準時から1時間進めた時刻)と南洋群島東部標準時(中央標準時と同じ)の2つに改められました。



 日本の最東端の南鳥島の経度は東経153度59分であるわけでから、日本国内で標準時を作ろうと思えば、中央標準時を含め3つできるわけですが、実際導入したとしても大変不便でありますので、今後導入することはないでしょう。