東西ドイツ統一後における、暫定首都ボンの位置づけ

 第2次世界大戦後、ドイツは長らく東西に分かれておりました。1990年10月3日、東ドイツ(ドイツ民主共和国)が西ドイツ(ドイツ連邦共和国)に編入される形で統一されました。

 私の中学時代はまだ、ドイツが東西に分かれていましたので、西ドイツの首都は「ボン」であると学校で教わりましたが、地図帳や地理関係の書籍によると、首都は「ベルリン」でボンは「暫定首都」であることが記されていました。

 歴史的経緯からすると、ドイツの首都はベルリンであるのは当然なのですが、当時は末期とはいえ、東西対立関係、いわゆる冷戦時代でしたので、西ドイツに属していないのに首都が「ベルリン」なのは滑稽に思えました。

 さていざドイツの統一となると、強大な資本主義国家である西ドイツが、社会主義国で、経済が後進的な東ドイツを編入するということが行われるため、西ドイツサイドからすると、首都をわざわざ経済が後進的な地域である、東ドイツサイドのベルリンに移すメリットがあるのかという声がありました。

 実際、統一後も経済格差があるので、これがドイツ全体の経済成長を妨げたのではないかという意見もありました。しかしながら、2001年5月2日にベルリンへの首都機能移転が完了します。



 1994年の「ベルリン・ボン法」によって、ボンは連邦市であると規定されました。これはボンが今まで暫定首都として機能したことによる配慮であり、ドイツ連邦共和国の首都ベルリンと並び、国家の中枢である、いくつかの省庁が置かれることになりました。
 よって現在ボンは、ドイツの副都というべき地位にあります。

 先述した暫定首都ですが、イスラエル建国当時、暫定首都(首都機能)をテルアビブ、首都をエルサレムとしていた時期がありました。建国後イスラエルが西エルサレムを占領した後、イスラエルは首都機能をエルサレムに移転しましたが、現在も我が国はじめ各国は占領の経緯から、大使館をテルアビブに置いたままで、エルサレムをイスラエルの首都とは認めてはおりません。
 
 その他では、中華民国(台湾)の首都である南京と台北の関係も、現在台湾では台北が首都として明文化されていないため、ドイツ統一前のベルリンとボンの関係性と似たようなものといえるでしょう。